ヒトセミナー(16)
イベント日時: 2006-02-16 13:00
| 日時:2006年2月16日(木) 13:00-14:15
場所:柏総合研究棟
発表者:天内大樹
所属:東京大学大学院人文社会系研究科 基礎文化研究専攻 博士課程1年(発表時)
タイトル:「構造派」と分離派建築会
キーワード:時代に制約された感性、思想の枠組み、国家や社会との連関、「構造」と「芸術」の二分法、テキスト分析による建築史
書誌:天内大樹,「構造派」と分離派建築会.ヒトセミナー要旨集, no.16, pp.1, 2006.
(本発表ならびに本要旨について引用する際は、こちらをご利用ください。)
要旨:
本研究では一九二〇年の分離派建築会結成の背景にある思想的背景を明らかにする.この運動団体は,東京帝国大学建築学科を卒業する6人の学生によって組 織された.彼らの主な敵対者は「構造派」と呼ばれた建築家である.その一人で,分離派にとって教師でもあった佐野利器は彼自身の国家主義的な建築観において「美術」を後回しにした.佐野の弟子の野田俊彦は,論文が「建築非芸術論」と題され,建築設計をまとめるために構造力学の理論にのみ頼った.彼らに対抗して,分離派メンバーであり,これまでの研究で理論上のリーダーと目されてきた堀口捨己は,人間の本能のうちにある「生命」「信仰」を主張した.しかし彼によれば建物は「自己」「生命」の反映のようである.この枠組みは当時の美術運動の影響を受けたものであり,先行する建築家にも同様の影響が見出される.これらに比べ,別の分離派メンバーである森田慶一が注目に値する.彼は完成後の「力学美」に「内心の要求」を見出した.しかし彼の比較的精緻な表現理解は,議論に組み込まれた理論的制約のために,気付かれずに終わった.これは日本のほとんどの建築家が建築を二つの観点,「美術/芸術」と「科学」を通して解釈していたからである.この枠組みは日本に西洋的な概念としての建築が導入されたとき以来,すでに明白に示されていた.
参考文献:
[1] 鈴木貞美『「生命」で読む日本近代』NHKブックス1996.
[2] 永井隆則「一九一〇-二〇年代京都の美術批評と芸術論」岩城見一編『芸術/葛藤の現場──近代日本芸術思想のコンテクスト』晃洋書房2002,pp.103-118.
[3] 松井明光監修,本田昭一著『近代日本建築運動史』ドメス出版2003.
[4] 長谷川堯『神殿か獄舎か』相模書房1972.
同時代建築研究会『悲喜劇一九三〇年代の建築と文化』現代企画室1981.
[5] 村岡信也『「分離派建築会」の展開と近代建築思潮に関する研究』神戸大学工学部建設工学科修士請求論文1978.
[6] Reynolds, Jonathan M., The Bunriha and the Problem of "Tradition" for Modernist Architecture in Japan, 1920-1928. in: Minichiello, Sharon A. ed. Japan’s Competing Modernities: Issues in Culture and Democracy, 1900-1930. Honolulu: U. Hawaii Press, 1998.
[7] 彰国社編集部『堀口捨己の「日本」──空間構成による美の世界』彰国社1997.建築史研究者藤岡洋保(「戦前の建築評論家の建築観」『10+1』n.20,2000.6, pp.77-86)の編集.
[8] 八束はじめ『思想としての日本近代建築』岩波書店2005. |
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